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帝がイスラエルと関係すると聞き、大住在住の住職が訪問、館長と古代史談義。2013.12.23
 YouTube 動画  http://youtu.be/dpKHCJ3PUTI

竹取翁博物館が主張している事を住民から聞き、京田辺市大住在住の住職と館長が古代史談義された。2013.12.23  筒木の京田辺市大住に住む和尚さんが、京田辺市三山木に竹取翁博物館の有るのを聞き突然訪問された。そして、展示されている内容から対談となった。和尚さんは、30年ほど前にイスラエルなどから色々な方々が大住にこられ、また、日本の古代史研究者も来られて「知っていることを話された」のである。

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 その内容は、古代から日本にシルクロードなどを通じて来ていて、崇神が「ダビデ」、垂仁が「ソロモン」であり、神武は「かむやまといわれひこ」で、三笠宮から「天皇は除福」と話されていたことを述べられた。
 聖徳太子は日本名が「アマノタリシヒコ」でぺルシャの方から来ている。天皇は除福であり、推古天皇はいなくて聖徳太子はいたと明快に述べられた。それに、レバノン杉の「御柱祭」や、聖徳太子の実名を「タルド」といい「日出づる所の天使…」天皇は、天武天皇からで、それまでは大王、大君だった。
 応神天皇は「タケノウチノスクネ」で世界の大王。秦の始皇帝は「カンピシ」で、藤原不比等は15才から25才まで京田辺市大住に「住んでいた」と話された。


 一方、『竹取物語』と関係していることについては、秦の始皇帝は、初めて海を見たときに、方士の除福に不老長寿の薬を取りに行くよう命じて、「稲作・絹織物…」などを100隻の船に乗り3000人が日本にやってきたと話され。この事を三笠宮は、「除福だと言っていた」と答えられた。 
 その他、卑弥呼は「コンギョク」で「ヒメミコ」。帝の大君は「ヒシココ」の名を与えた。
平安京は、ヘブライ語で「エルシャライム」といい「平安」という意味である。太秦広隆寺は元、大秦寺で聖徳太子が建てた「原始キリスト教の寺である」と話された。そして、竹取翁博物館で小泉館長が述べている事が「正しい」というを証明をして頂いたこととなった。
 また、エルサーレムからは、イサクやヤコブというイスラエルの10士族の「ダン」一族が日本に来ていて、私の所に30年ほど前にユダヤの先生がそれらを聞きに来て「家に泊まって帰られた」と話された。
 この様に、竹取翁博物館の小泉館長が館で説明していることやYouTube等で何時も述べていることの「ほとんど全てが正解で有ること」を突然やってきて来て述べられたので急遽収録させて頂いた。
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