超古代文明307 竹取物語の「舞台が京田辺」と判明,作者は空海で、かぐや姫は『古事記』の「迦具夜比売(かぐやひめ)」 竹取翁博物館 国際かぐや姫学会 2012.4.30

超古代文明307 竹取物語の「舞台が京田辺」と判明,作者は空海で、かぐや姫は『古事記』の「迦具夜比売(かぐやひめ)」  竹取翁博物館 国際かぐや姫学会 2012.4.30
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竹取物語』の舞台は筒木の京田辺市だと1980頃から判明ている。作者は空海だと多くの関係者や空海に詳しい方々も認められている。
 『竹取物語』は、世界最古の物語りであり文学作品である。歴史的事実として、過去のある時点で実際に起こった出来事を物語に託して記した作品である。しかし、空海は朝廷に深く関わっていたので表だっては言えない立場だったので、物語りとして、過去の伝聞を表す助動詞「けり」を用いて、過去のある時点で実際に起こった出来事を語るのだという形式で語っている。すなわち、虚構のように見せかけて、事実あった出来事を語るという形式を取っているのである。
 この具体例として、五人の求婚者の名前の問題が指摘できる。夙に、加納諸平が『竹取物語考』(竹取物語古註釈大成 昭和54)で指摘しているように、『竹取物語』の五人の求婚者名と「壬申の乱」の功臣とに名前の一致が見られる。それを記すと以下の通りである。
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   石作皇子 ― 丹比島
   庫持皇子 ― 藤原不比等
   阿部御主人 ― 阿部御主人
   大伴御行 ― 大伴御行
   石上麻呂足 ― 石上麻呂
 石作・庫持の両皇子の比定についての詳しい説明は、発行『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』小泉芳孝著「大筒木出版」2012年2月(平成24年)を見て頂ければ明らかである。http://taketori.koiyk.com/ootutu-shupan.html
 特に石作・庫持の二人の皇子の名前は、難題の品「仏の御石の鉢」との関連から「石作」となり、「蓬莱の珠の枝」が金銀・真珠からなる高価な品物であることから「庫持」となったというが、詳細は、最新作の『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』を見ると実に明快なのである。また、名前がほぼ一致する残る三人の求婚者名については、『竹取物語』執筆時点までには没落してしまった氏族であり、彼らの難題入手の失敗過程を描くことによる政治批判に終始している。彼ら「壬申の乱」の功労者三名の名前は、『竹取物語』の時代設定が従来は奈良時代であるとされたが、主人公はあくまで「かぐや姫」であり、また「竹取の翁」と「媼」なのであり、貴公子と言う愚かな人物(現在では政府の閣僚クラス)を意図的に持ち出してあざ笑っている材料に使っただけなのである。
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 これ以外に、『竹取物語』の舞台設定が何処であるのかをぼかして明確にしていないのである。むしろ、平安京を舞台にしていたことの方が物語の中身に対して重要であり、その他の色々な表現から明らかとなるのである。
  ①名をば、讃岐の造となむいひける。  (「さるきのみやつこ」はあるが「さぬきのみやつこ」は何処の写本にもしるされていない)
  ②この子いと大きになりぬれば、名を、三室戸齋部の秋田をよびて、つけさす。
  ③三年ばかり、大和の国十市の郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるを取りて…。
①は、かぐや姫の養父となる竹取の翁の名前であり、「讃岐」は、氏族名称か地名のいずれかということになる。本文中には、紹巴奥書本では「さるき」、天理図書館武藤本では「さかき」とあって、「さかき」とは何処の諸本にも書かれていない。
  つまり「さるき」は「さぬき」に同じとこじつけている。「ぬ」は「る」に音訛すると一部の国文学者や大手出版社は記しているが、歴史学者からはまったくのこじつけで「さぬき」説は歴史学者から消えた」とされている。故に「さかきのみやつこ」の方が、文面からしてふさわしいのである。
そこで、大和国にこの地名を捜された方がいて「広瀬郡散吉郷(「さぬき」と無理やり読んでいる)」(北葛城郡河合町)とでっち上げられた。ここには、讃岐神社があり、ここを以て竹取の翁の居住地とするのが、従来の通説であった。
  しかし京田辺説が出てきて大手出版社説の「さるき」は「さぬき」に同じという広陵町説はこじつけで「さぬき」説は消えてしまった。のである。しかし、ウィキべディアに再三主張しているが、御目付役が何回も出て来てそれらを訂正し追加しようとしていない。
②は、かぐや姫の命名を「三室戸齋部の秋田」が命名したというのだが、秋田の居住地「三室戸」については、『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』が指摘するように、「三室戸」も「みもろ」と同じだとして、三輪山を指す『新編日本古典文学全集本』というが、とんでもない間違いをしている。「みもろ」は、京田辺の甘南備山(日本最初のピラミッド山)なのであり、奈良の三輪山より古いのである。このかぐや姫の里である筒木の京田辺市は、日本の古代史にとっては、奈良よりも古い伝承があり大変重要な物部氏ニギハヤヒ尊が石船神社に降臨して生駒にいた縄文人でもある長髄彦の娘と結婚して、その後に「登美」という京田辺と奈良の県境に根拠地を築いていることからも大変重要なのである。また、決定打は、宇治に「三室戸」があり、そこにかぐや姫の名付け親の忌部氏がいたので、「奈良を舞台」としただけでは無く、物語の出来た嵯峨天皇の「平安時代」初期が大変重要であり通説となりました。
③は、求婚者石作皇子が、かぐや姫には天竺に「仏の石の鉢」を取りに行くといって、実は「十市の郡」の小倉山に隠れていたというのである。偽物の「仏の石の鉢」を、その山寺から調達したというこの叙述で気になるのは、『竹取物語』の舞台が大和国と見られるが「十市の郡」と記しているだけである。「十市の郡」は難題の「インドのみいしの鉢」が出てくる部分だけであり、本来の舞台は『竹取物語』が漢文で書かれた平安時代の初め嵯峨天皇の頃を重要視し想定しているのである。従来説は現存している『竹取物語』が「崩し字のひらがな」だったが、良く読むと本来は宣明体の漢文で書かれていたことが判明している。故に、NHKが述べていた作者の紀貫之説は平安時代の中期以降であることが判明したので紀長谷雄と訂正したが、難題の品を持ち出すのに日本にいただけでは書けない品なので、当時国際都市であった長安遣唐使で行った国際派の弘法大師空海説でなければ考えられない品なのである。空海説の諸説については、上記『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』や、その後の研究発表を参照されたい。http://taketori.koiyk.com/
 以上、『竹取物語』の地名や文体それに準ずる上記三例を例に出して、物語の舞台が京田辺の筒木を舞台として平安京の京都を中心に空海が記したことを述べた。これらは、既に30数年前から定説化していることであり、今後ともにこれが変わることはない。
その他に、5人の貴公子は「壬申の乱」で登場しているが、古事記に記す「かぐや姫」の父に「大筒木垂根王」がいて京田辺市普賢寺に古墳があり、古文書も代々伝えられた物もあり、「舞台が京田辺」だと言うことが判明している。この『竹取物語』は、「壬申の乱」で活躍した貴公子を痛烈に批判しているのであるから、舞台は大和国よりも平安京の山城や筒木に深く関係してことが明らかなのである。また、嵯峨天皇に仕えた「薬子の変」を作者・空海が祈祷で納めたということもあり舞台は平安京に深く関係していることが判明している。
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竹取物語の作者~空海説について(その1~6)
   http://blogs.yahoo.co.jp/miya09132001/35779522.html
竹取物語の作者~空海説(博物館で1~6をまとめた物 )
   http://taketori.koiyk.com/haku-kukai.html削除

上記の詳細を知りたい方は、
 『竹取物語 現代考 原文・注釈・現代語訳・解説付き』
       小泉芳孝著「大筒木出版」2012年2月(平成24年)発行
    定価6000円+税→博物館特価5500円(税別) A5版 447ページ 
     (本の郵送料500円と消費税含みます)郵便振込のみ合計6000円
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 「国際かぐや姫学会」と「竹取翁博物館」 http://taketori.koiyk.com/
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